山 域: 天草、雲仙
日 時: 2020年2月15日(土)~2月16日(日)
天 気: 雨のち曇り(2日目) 気温:2℃
参加者: 21名(男性7名・女性14名)
その1の続きです。
雨だ!やっぱり今日は観光だ!
前日、天候不順で登れないだろうと思っていた太郎丸嶽・次郎丸嶽に登れたことで、次の日の普賢岳は雨か降って登れなくてもまぁ仕方ないという、どこかほっとした気持ちになれた一同。
ただし、フェリーの都合で起床は5時、出発は7時と山に登るのと同じスケジュール。
民宿・葵の真骨頂は「美味しい魚料理」。
朝ご飯だって、例外ではありません。
なんと言っても魚のアラでだしを取った豆腐とアオサの味噌汁が抜群にうまい!
思わずご飯おかわり!なんて、声を上げてしまいます。
「また、来年来ます!」と声をかけてから、出発。
やはり今日は雨模様ですね。
空は厚い雲に覆われて、どんよりとしています。
宿から鬼池港に向かう道はところどころ狭くて、小型バスの威力が遺憾なく発揮されました。
7:55、出発5分前に鬼池港に到着。
島鉄フェリーに乗船します。
急いで乗船手続をします。
あらかじめ電話していたので受け入れ体制バッチリでした。
さて、フェリーに乗船。なんだかワクワクしてしまいます。
思いのほか大きなフェリーにちょこんとかわいい小型バス。
船内は想像以上に豪華です。
約30分足らずの船旅にテンションあがりまくりの一同。
ほどなく口之津港に到着しました。
ここから、島原市を目指します。
9:25島原ボランティアガイドの長谷川さんと合流しました。
今日は島原市内観光と、普賢岳の噴火災害関連施設巡りです。
まずは島原城から。
島原城と言えば、僕的にはキリシタン弾圧の最前線としての印象が強いところです。
遠藤周作の沈黙と最近公開された同名の映画とか見ていると、あぁここが悪魔の城かぁーと思いますが、一方で、寛政の時代に普賢岳が噴火した際には復興に尽力したそうで、この白いかわいいお城にある光と陰を感じます。
でも、寒い! 風が吹いて傘が裏返ってしまいます。
隣接する梅園を見学しましたが、花はほとんど散っていました。
何とも早い。それでも少しのんびり屋の梅が可憐に咲いていました。
なお、お城のお堀では10月にレンコン掘り大会があるそうで、食べ物に目がない一同、思い切り食いついていました。
さて、ここからが噴火災害学習の本番。
10:30 旧大野木場小学校被災校舎 砂防みらい館に到着です。
1992年の噴火の映像をガイドさんの説明とともに視聴します。
ここは、我々の記憶にまだ新しい、雲仙普賢の噴火災害の貴重な遺構であり、地震や火山活動で普賢岳の溶岩ドームに異常がないかを監視しています。
半永久保存される旧大野木場小学校、わずか6分の火砕流と続く火災と土石流で集落のすべての建物は、消滅しましたが、鉄筋コンクリートのこの小学校だけは残りました。
噴火災害を、語り継ぐため、補強や外壁の塗り替えなどして、当時の災害を未来に残すこととしたそうです。
山という存在が見せる一面を知った後に、みらい館の3階で普賢岳を眺めることに。
さっきまで厚い層雲に覆われていた平成新山が水墨画のようなたたずまいで姿を表しました。
今日が晴れならあっちからこっちを臨んだだことでしょう。いつか登って「あぁ、あそこに行ったなー」としみじみ思う日が来ると思います。
11:40 今度は噴火災害の展示のある、がまだすドームを見学。
がまだすとは、島原の方言で『がんばる』という意味なのだそうです。
火砕流の速さを体験できる展示。
火砕流に巻き込まれたの集落の状況の展示。
当時、救助活動にあたった車輌にはVR(仮想現実)映像装置がついていて、鬼気迫る映像が流れていました。
被災したカメラ。
がまだすドームは江戸時代、平成と2つの噴火を軸に、普賢岳と人々とのかかわりを学習する素晴らしい施設でした。また、子供たちの楽しめるコーナーやイベントなども開催されているそうで、地域交流のハブとしても機能しているとのことです。
13:00 道の駅みずなし本陣に到着。
ここでお昼ご飯をいただきます。
具雑煮チームと長崎ちゃんぽんチームにわかれて、もぐもぐタイム。
ガイドさんのスケジュールがなかなかきつくて、タイトな中でのお昼ご飯となりました。
皿うどんは濃厚な味で美味しかったですよ!
Y.Mさんは健康のためにちゃんぽんの汁を残しました。
こういうところが健康の秘訣!
さて、この道の駅はただの道の駅ではありません。
実は、被災家屋を当時のまま半永久的に保存している、噴火災害施設でもあるのです!
ずっしり重々しい瓦屋根の立派な邸宅達は土石流で2.8メートル埋まったまま時を止めて今も災害の畏怖を伝えているわけです。
いやぁ、ガイドさんが実際に被災されただけあって、説明が熱い熱い!
今日は観光だからのんびりと思っていた一同はツアーを終えて「今日はこれは研修だったね」としみじみと感想を漏らします。
まぁ、山の会ですからね!
山のことなら何でも知っていたほうがいいに決まっています!知恵と力は重荷にならぬ!なんていいますからね。
そんなこんなで今回の天草雲仙旅行はヒヤリハットもなく、
美味しく、楽しく、安全に全行程を終えました。
また、来年も同じ計画で太郎丸次郎丸嶽、普賢岳の山行を計画したいと思います。
晴れるといいな!
(by 763酒井)
この山行グレードはA☆です。
日 時: 2020年2月15日(土)~2月16日(日)
天 気: 雨のち曇り(2日目) 気温:2℃
参加者: 21名(男性7名・女性14名)
その1の続きです。
雨だ!やっぱり今日は観光だ!
前日、天候不順で登れないだろうと思っていた太郎丸嶽・次郎丸嶽に登れたことで、次の日の普賢岳は雨か降って登れなくてもまぁ仕方ないという、どこかほっとした気持ちになれた一同。
ただし、フェリーの都合で起床は5時、出発は7時と山に登るのと同じスケジュール。
民宿・葵の真骨頂は「美味しい魚料理」。
朝ご飯だって、例外ではありません。
なんと言っても魚のアラでだしを取った豆腐とアオサの味噌汁が抜群にうまい!
思わずご飯おかわり!なんて、声を上げてしまいます。
「また、来年来ます!」と声をかけてから、出発。
やはり今日は雨模様ですね。
空は厚い雲に覆われて、どんよりとしています。
宿から鬼池港に向かう道はところどころ狭くて、小型バスの威力が遺憾なく発揮されました。
7:55、出発5分前に鬼池港に到着。
島鉄フェリーに乗船します。
急いで乗船手続をします。
あらかじめ電話していたので受け入れ体制バッチリでした。
さて、フェリーに乗船。なんだかワクワクしてしまいます。
思いのほか大きなフェリーにちょこんとかわいい小型バス。
船内は想像以上に豪華です。
約30分足らずの船旅にテンションあがりまくりの一同。
ほどなく口之津港に到着しました。
ここから、島原市を目指します。
9:25島原ボランティアガイドの長谷川さんと合流しました。
今日は島原市内観光と、普賢岳の噴火災害関連施設巡りです。
まずは島原城から。
島原城と言えば、僕的にはキリシタン弾圧の最前線としての印象が強いところです。
遠藤周作の沈黙と最近公開された同名の映画とか見ていると、あぁここが悪魔の城かぁーと思いますが、一方で、寛政の時代に普賢岳が噴火した際には復興に尽力したそうで、この白いかわいいお城にある光と陰を感じます。
でも、寒い! 風が吹いて傘が裏返ってしまいます。
隣接する梅園を見学しましたが、花はほとんど散っていました。
何とも早い。それでも少しのんびり屋の梅が可憐に咲いていました。
なお、お城のお堀では10月にレンコン掘り大会があるそうで、食べ物に目がない一同、思い切り食いついていました。
さて、ここからが噴火災害学習の本番。
10:30 旧大野木場小学校被災校舎 砂防みらい館に到着です。
1992年の噴火の映像をガイドさんの説明とともに視聴します。
ここは、我々の記憶にまだ新しい、雲仙普賢の噴火災害の貴重な遺構であり、地震や火山活動で普賢岳の溶岩ドームに異常がないかを監視しています。
半永久保存される旧大野木場小学校、わずか6分の火砕流と続く火災と土石流で集落のすべての建物は、消滅しましたが、鉄筋コンクリートのこの小学校だけは残りました。
噴火災害を、語り継ぐため、補強や外壁の塗り替えなどして、当時の災害を未来に残すこととしたそうです。
山という存在が見せる一面を知った後に、みらい館の3階で普賢岳を眺めることに。
さっきまで厚い層雲に覆われていた平成新山が水墨画のようなたたずまいで姿を表しました。
今日が晴れならあっちからこっちを臨んだだことでしょう。いつか登って「あぁ、あそこに行ったなー」としみじみ思う日が来ると思います。
11:40 今度は噴火災害の展示のある、がまだすドームを見学。
がまだすとは、島原の方言で『がんばる』という意味なのだそうです。
火砕流の速さを体験できる展示。
火砕流に巻き込まれたの集落の状況の展示。
当時、救助活動にあたった車輌にはVR(仮想現実)映像装置がついていて、鬼気迫る映像が流れていました。
被災したカメラ。
がまだすドームは江戸時代、平成と2つの噴火を軸に、普賢岳と人々とのかかわりを学習する素晴らしい施設でした。また、子供たちの楽しめるコーナーやイベントなども開催されているそうで、地域交流のハブとしても機能しているとのことです。
13:00 道の駅みずなし本陣に到着。
ここでお昼ご飯をいただきます。
具雑煮チームと長崎ちゃんぽんチームにわかれて、もぐもぐタイム。
ガイドさんのスケジュールがなかなかきつくて、タイトな中でのお昼ご飯となりました。
皿うどんは濃厚な味で美味しかったですよ!
Y.Mさんは健康のためにちゃんぽんの汁を残しました。
こういうところが健康の秘訣!
さて、この道の駅はただの道の駅ではありません。
実は、被災家屋を当時のまま半永久的に保存している、噴火災害施設でもあるのです!
ずっしり重々しい瓦屋根の立派な邸宅達は土石流で2.8メートル埋まったまま時を止めて今も災害の畏怖を伝えているわけです。
いやぁ、ガイドさんが実際に被災されただけあって、説明が熱い熱い!
今日は観光だからのんびりと思っていた一同はツアーを終えて「今日はこれは研修だったね」としみじみと感想を漏らします。
まぁ、山の会ですからね!
山のことなら何でも知っていたほうがいいに決まっています!知恵と力は重荷にならぬ!なんていいますからね。
そんなこんなで今回の天草雲仙旅行はヒヤリハットもなく、
美味しく、楽しく、安全に全行程を終えました。
また、来年も同じ計画で太郎丸次郎丸嶽、普賢岳の山行を計画したいと思います。
晴れるといいな!
(by 763酒井)
この山行グレードはA☆です。
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